7routeplanet

写真と七辻脳内白描図

読書な食事

 面白い記事を書こうとしてブログを書くつもりはないが、創作で何か面白いことはできないだろうかと思案している。
 前にも書いた通り、読書欲がここのところ続いており、通勤時間を筆頭に本をひらく暇があればぽつぽつと「むさぼっている」。

 この「むさぼっている」という言葉から、読書というものは食事のようだと思い付いたのは、二十代の半ば頃だったような気がする。

 Twitterでは戯言のように呟いているが、本を「読み下す」「読み飲む」「茶漬けにする」あたりの言葉は至極真面目に使っている。
「茶漬けにする」とは速読のことだ。さらさらと流すように読む。さらさらと食べる茶漬けのように。茶漬けにすると味わい読むことについては些か粗雑となるが、内容はわかるので、なおざりにならない程度にしている。茶漬けにしている時点で充分なおざりなのかもしれないが。

 こうして読書を食事として認識するようになってからは、読書の仕方にも雑か丁寧かを考えるようになった。
 食事も雑に食べてはあちらこちらに汁やご飯粒が飛ぶだろう。適量にドレッシングをかければ皿も必要以上には汚れない。あるいは食べかけのまま残して捨てることもある。ごま粒ひとつも残さず食べることもある。
 読書もきっとそうなのだと思う。あちらこちら読みかけて読み飛ばして積んでしまうこともあれば、丁寧に読み続けて言葉の意味、情景、わからない単語があれば辞書を引く、付箋を貼ることもできる。
 著者によって面白かったり、つまらなかったりするのは、料理の腕前や味付けによって人の好みが分かれるのと同じだろう。

 しかし、どの本も丁寧に読むには時間が必要であり、実際はそこまで時間を割いてはいられない。読みたい本は増える一方、一人暮らしともなると読書に時間を全振りするわけにもいかない。
 だから気になった本はまず書店でつまみ食いをする。さらに茶漬けにする。
 小説なら一章、読み物なら目次を参照し読みたい部分をひと浚い。面白ければ買えば良い。

 ところで、「むさぼっている」という表現はどうも雑に読書しているようで個人的に好ましく思っていない。意味としては読書に没頭しているようなものだから真剣に読むことに間違いはないのだが、おそらく幼い頃に染み付いた、語感から来る個人的な偏見に因るものなのだろう。