7routeplanet

脳内整理と創作雑多趣味

オフ会前に買ってきたワイドテレビは、再び電源を点けられるのを待ち望んでいる。

今のテレビを買ったのは、当時、まだ東京に住んでいた頃。

遠方からいらしたフォロワーさん含む大人数オフ会の一環で、私の家でゲーム大会をすることになった時のこと。

その時に持っていたテレビは、15インチのブラウン管しかなく、オフ会数日前に、急遽、隣町の家電量販店で買い付け、バスに乗って直接持ち帰って急いでセッティングした。

せっかく大人数で集まれる思い出に、こんな小さな画面で遊ぶのでは申し訳ない。

型落ちとタイムセールのおかげで約4万程度で手に入れた28インチのワイドテレビは、当時のオフ会メンバーにかけがえのない思い出を残してくれたと思っている。

 

そのテレビの電源を久々に点けて、容量オーバーで録画の止まったレコーダーの中身を改めると、最後の録画は2019年の7月ごろ。
それまで毎週撮っていた番組は、観返すことも全くなく、撮り溜めされたまま。

一度レコーダーの中身を整理し、ディスクにダビングしたものから消していく。

そうしたのは、確か去年、地上波でレディプレイヤー1が放送されるのをTwitterで読み、流石に録画をしようと思い立ったのが切欠だったと思う。

 

2018年くらいの頃はまだ、番組表を眺めては、タイトルと概要で気になったアニメを予約録画して観ていた。しかし、昨今のアニメは私の興味に沿うものがなく、バラエティ番組も食指が動かず、結局、テレビは観るのをぱったりと辞めて、全く点けなくなっていた。

 

一方で、私は元々、ネット動画にあまり興味がない。

動画は大抵、創作物の参考資料として検索した時にしか観ない。

当然、ゲーム実況や音楽のプロモーションなど、娯楽要素の強い動画は一人で観ることはなく、そのために、Twitter上で流れてくる知り合いの話についていけないこともある。

 

ただ、全く観ないわけでもない。昨今は、相方と共にいる時に割と率先して動画視聴をしている。

観るものは、お互いの趣味に沿うものばかりだが、相方が興味のある動画配信を観るのも面白いし、有難い。

 

今は、テレビや動画配信を観るより、自分のやりたいことをやるほうが面白い。

ゲームもそう。遊ぶより何かを作りたい。

ゲームで唯一続いているのはマイクラくらいか。

あとは、去年の三月に発売したあつ森を七月くらいまで続けた程度。ハートゴールド以来久方振りに遊んだポケモンシールドも然程持たなかった。

 

昔、親に言われるのが嫌だった言葉の一つを思い出した。

 

「もうそろそろアニメ(ゲーム)から“卒業”かな」

 

アニメやゲームだけではない。テレビや動画は、単なる暇潰し。創作のことばかり考えている私は、とうの昔にそれらから卒業しているのだろう。

今欲しい情報は、今や受け身ではなく自分から探しにいくものだ。そのためにテレビをつける事はあっても、アニメや映画を観るために電源をつける事はほとんどない。

 

そう言った手前、去年の暮れはたまたま私の好きな作品のアニメが放映されていたので録画をしてみた。

しかし、私はその録画を流しながら、じっくり観る事はなく、欲しい場面の回だけ残し、残りは消した。アニメなど観なくとも、原作を手元に置いているから、残しておく事はないのかもしれない。

 

アニメを観る基準が変わっているのか。

昔は作品の全体像を楽しむため、比較をするために観ていた。

 

今はきっと違う。

どちらにしろ、他作品を娯楽のために観ることはしていないんだ。

 

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今年初めの太陽撮影はスカイツリーの麓から。

今年もよろしくお願いします。

撮影方法を模索したい。そう思った2020年の後半は霞んでいる。

この一ヶ月間、創作事に対する自身の叱咤激励ばかりをブログにしていたので、今回は久々の写真。

最近は、新しい撮影の仕方を模索している。

 

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大田区馬込

一昔前の写真のような雰囲気だと思ってもらえたなら嬉しい。
その意図で工夫した撮影をしている。

 

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横浜市

こちらは玉ボケを狙って撮影したもの。
玉ボケしている木の真ん中で一番白く輝いているのが太陽。
相変わらず美しいな。

 

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こちらは以前ブログにも載せた写真だが、春先から秋にかけて撮影している「本日の横浜」の風景を玉ボケにしたもの。
夜の街を従える月が粛々としている。

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こちらは別の日に撮影した同一風景。
華やかさは無し。

 

狙った獲物を撮影するより、そのときにしか撮れなかったものを愛しいと感じるタチだからか、私には、他人のオーダーに応える力は備わっていないのだと、ぼんやり勘づいている。
プロはきっと、自分の撮りたいものだけでなく、他人のオーダーにも応えられるのだろう。
他人のオーダーに応えられないうちは、やはり自己満足の撮影か。

 

例えば、人を被写体にするのが苦手だ。
人を撮影したことはほとんどないから。

来年は人も風景写真に取り入れてみるか…どうかな。

ファンアートと自分自身の創作力の食い違い

Twitterメモ。

勘違いしてはいけない、ファンアートと自身の創作力。

 

以下原文。

 

 

僕は今年の秋に“向こう”での表立っての活動を辞めたわけだが、辞めたからといって、それまで交流していた人と交流を辞めるわけでもないし、“〜界隈”という括りに囚われる気はさらさらない。

だが、相手がそれを良しとしない、界隈から離れたら知り合い(※同胞・仲間・友人など)と認めないというのなら、関わるのをやめます。

 

ファンアートで見たいものは、その人の作品なのか、ファンアートを描くための原作なのか。

僕はその人の作品・作風を見たくてフォローをするが、多くの人は原作を見たいのであって、誰が描いていようがあまり関係はないのだろうな。

意見の食い違いってのは、多分ここなのかな。

 

以前、ファンアートではめちゃくちゃいいねとRTされていたのに、自創作した途端に誰も見てくれなくなったと呟いていた人がいたが、そりゃ当たり前だ。

ファンアートは貴方が生み出した作品ではないし、それを自分の力だと過信したら駄目だろ。

ファンアートはファンアート。
勘違いしては駄目だ。

 

ファンアートは創作事ではないよ。
公式の供給に乗っかっているだけ。
原作の魅力に便乗しているだけ。
それを自分の力と過信してはいけない。

 

ファンアートを辞めた途端に創作ができなくなるのなら、残念ながら貴方がやっていたことは創作ではなかったんだよ。

便乗していただけ。
それは、貴方の創作力ではなかったということだ。

 

僕がいたところは、原作はあれどまた特殊な界隈だったからなぁ…
うん。
特殊だと思う。
ファンアートとも自創作とも多分呼べないところ。

僕はきっぱり自創作にしたかったので辞めたんですよ。
彼等の物語の続きを待つのを辞めて、僕自身で作ることにしたんです。

 

公式の供給なんぞ要らんわ。
僕が供給源になる。

それで、良い気がする。
公式の供給なぞなくともキャラが立って世界観も崩れないなら、それは立派な創作だろう。
便乗とインスピレーションによって作った土台は別物。

自作品を見てもらいたいなら、便乗するのをやめればいい。それで済む。

 

→「便乗」と「インスピレーション〜土台」で分ける。
これらが別物。
便乗は他人の土台だが、インスピレーションを受けた先で自作した土台は自分のものだ。

 

自創作は孤独だ。
孤独から始めるものだ。
だから、創作をずっと続けている人は本当にすごい。

僕も頑張りたい。
頑張れっていう(言ってくれる)のも、始めたばかりでは自分しか居ないんだ。

だから、僕は自分に頑張れっていうよ。