平気だと思っていたことが、実は平気ではなかったとして、それは僕の問題であるから、他人にはあまり関係がない。
だから、僕が物語を書けなくなったところで誰も困らないし、僕の見えていた世界は僕という『殻』を打ち破ることなく僕ごと消える。
ストーリーは、もう出来上がってしまったから、書き直しなんてしたくない。
これは、僕のエゴだ。
「僕のエゴだ」という言葉は、中高生あたりで読んだ物語か何かにあった、ていの良い言い訳だ。
世界は、物語のようにただただ美しくなんてできていない。もっといびつで、みずほらしくて、小さな花のような幸せが咲く。
読みやすく整った物語が流行るのなら、いびつでも書きたいものを確と刻んだ物語はこれからも人目に触れなくて良い。
優しい物語が読みたい。
春の広野に一輪だけ咲く、小さな五枚の花びらを揺らす花のような。
やってきた春風に身を委ねて楚々として咲う花のような。
僕が書かなかったら、きっともう、そんな物語とは出会えないんだ。
心傷なんて、関係ないだろ。
書くことができるのが自分だけなら、世界が回って立ち上がれなくても、心臓が早鐘を打って落ち着かなくても、僕が書くしかないんだ。