先日から、「品性」のツイートをよく見かける。
何を話す(喋る)かが「知性」、何を喋らない(話さない・語らない)かが「品性」だそうだ。
まぁ、そういうツイートをこのご時世に見かけますよ、とだけ、書き留めておく。
私の心傷が、何由来であり、そのためにこれまで何を考えて、何を為してきたのかは、この先、公の場では言葉にしない。
言葉にできない。口に出すことができない。
何度も記事にしようとしてきたが、書くたびに、これは公に書き留めるものではないと、何度も消してきた。
きっと、これからも書けないままだ。
書き留める術をもう一度探しているのかもしれない。
それとも、物語として語りたいか……それは、どうだろうか。どうだろうな。
私は逃げ方がわからなかったから、戦うしかなかった。前を向くことしかできなかった。
だからずっと立ち向かってきた。
立ち向かってきた先々で、出会った人はたくさんいて、今でも懇意にしてくださる方もいてくだされば、疎遠となってしまった人も数が多い。
その、これまで出会ってくださった方々に、この先も感謝を述べたい。
私が今日、こうして立ち上がっていられるのは、私と出会ってくださったあなた方のおかげです。
このブログも、なんとなく書きたいように始めて、長く続けてきたものだ。
noteと違って、こういう事を書くときは気持ちが楽になる。気がする。
過去の自分と何が変わっただろうな。
過去の自分は、何を考えていた?
私は、おそらくこれからも戦い続けるんだ。
昔の私と今の私は、どこか違っているか?
私は今、何を語ろうとして、何を墓まで持っていこうとしている?
人に優しくありたいが、甘やかしたいわけではない。だから、ときおり厳しい言葉をかけてしまうのは、そうできる人だと信じているから。
そして、その期待を裏切られるのは、辛い。
一方で、勝手に期待を背負わせているのかもしれない。
私は、教育に関してはスパルタだ。とてつもなく厳しい事を言う。教育者には向いてない。
それは、逃げ方がわからなかったから。
戦い方しか教えられないからなのだろうな。
今でも、手を繋いでくれている人、繋がりを保ち続けてくださる方々には、本当に、感謝の言葉を積んでも足りない。足りないからこその、ありがとうございます。
疎遠してしまった方々にも、お礼を言いたい。言いたいが、届かない理由は私のせいにするから言わない。そこで感謝を述べるのは、お門違いというものだ。
飛行機雲を流れ星に見立てて祈る。
私はこれからも、戦うことしか、前を向くことしか、立ち向かうことしかできない。そういうことにしておく。
愛を言葉にすることを恥と思ったことはない。ましてや、馬鹿になどしない。甘えたいわけではないから。