貴方の創作している姿が好きだから、褒める。
またいつもの、余計なことをつぶやいていると思ったので、自戒のための備忘録。
数年後に読み返して、私がどのような考え方をするようになったか、すり合わせるための記録。
ただ褒めるだけにはなりたくない。
本当にその人の創作が好きで、頑張ってもらいたいから、その人の作品のいいところを伝えたい。褒めたい。
創作を続けてほしい。
辞めないでほしい。
あと、人は褒められると伸びると言う言葉を信じているし、嬉しいと思っているので、褒める。
言葉足りてなかったな。
皆、もっと人を褒めろよ。恥ずかしいなんて言ってないで。
恥ずかしいと言って逃げるのはずるい。
ずるいな。
以下、Twitter原文。
僕は、余所様には創作し続けていてもらいたいから(しかし僕の好みもあるので全てとは言えないが)いいねをするし声をかけられそうな時には声をかける。
そこに他意はない。
僕自身は、さっきも言ったが自給自足してしまうから、ある意味自己完結してしまっているというか…
人様に褒められるような作品作りをしていないと言えばそうなので、誰からも褒められなくても創作し続けるルーチンを自分の中で確立してしまったんだよな。
だが、それは別にいいねも反応も何も要らん、というわけではなくて、あったら素直に嬉しい。
だが、なくても気にしなくなってしまった。
他人の反応の有無でモチベーションの変化を為さなくなった、と言えばいいのか?
僕は全部、「自分の所為」にしているんだな。
それが、良いかと思うと、多分良くないのは自分でも判っている。
独りよがりの創作は本当に独りよがりで自己完結しかしない。
まぁ、それを突き詰めていって成功している人もいるのだろうけど。
だから、人様に見られていることを意識しながら、今は反応してもらえないことを念頭にしている。
「お前程度の作品で誰が振り向くと思うか」
それを念頭におきながら創作している。
誰も振り向いてくれないなら、人様が振り向くような作品を作れるよう自分を磨くのみ。
僕の吐き出すものたちを好きだと言ってくれる方には本当に頭が上がらない。
だから、ありがとうございますと伝えるんだ。
自分の作品には反応してもらえないから、その人の作品には反応しない事にする、という考え方はおかしい。
反応してもらえないのは、作品が稚拙だからだ。自分の所為。
自分は良くても、人を惹きつける作品ではないということだ。
だが、作風を変えろとは言っていない。
後ろを振り向かず、ひたすらやりたいことを続けて。続ければ良いのでは。
人に媚びるな。
自作品に自惚れろ。
まずは自分が自作品の一番のファンであれ。
結局は、そこに落ち着く。
自分が一番楽しんで、ついでに他の人が楽しんでくれたら嬉しいと思っています。
僕は自分の創作はあまりにもマイノリティだと思っていて、しかし、それほど魅力もないとも思っている。
どうすればもっと素敵な作品に昇華出来るか。
いつもそこを考えている。
いつも何かを試している。
それはやったら良さそうと思うことは、勉強させていただいている。
これ、なんて言えばいいんだろうな。
僕は自分の創作を頑張るから、皆も自分の創作を頑張ってね。「創作を辞める」は辞めて。
と言えばいいのか。
貴方の創作事の応援はするが、好みではないものをいいねする気は無いんですよ。
いいねは貴方の作品を好いてくれる人にしてもらってください。
余所様の創作している姿が見たいから。
創作し続けてください。是非。
ここまで。
以下、別日ツイート。
観たいものがあったんだ。
その人にしか作れないものだった。
僕が作っても意味がない。
だから作って欲しかった。
まぁ、それだけだ。
貴方の創作物は、貴方にしか作れない。
貴方が作らなくても僕は僕の創作を続ける。
待つ事はしないし、誰も待たないし、誰も肩を並べてはくれない。
並んでもらうのではなく、並びに行く。
並びに行って、そこから望む実際の景色を見て、それが共に見たい景色ではなかったのなら、立ち去ったっていいんだ。
立ち去ることに遠慮はいらない。
創作は孤独だ。
自分のやりたいことをするのなら。
何が大事かはその人の価値観次第だが。
万年独り相撲でも構わない。
やりたかったことではないことを続ける必要はない。
僕の人生は一度きり。
貴方の人生も一度きりだ。
やりたいことをしてほしい。
だが、“創作を辞める”は後生だから辞めてくれ。
ここまで。