Twitterメモ。
勘違いしてはいけない、ファンアートと自身の創作力。
以下原文。
僕は今年の秋に“向こう”での表立っての活動を辞めたわけだが、辞めたからといって、それまで交流していた人と交流を辞めるわけでもないし、“〜界隈”という括りに囚われる気はさらさらない。
だが、相手がそれを良しとしない、界隈から離れたら知り合い(※同胞・仲間・友人など)と認めないというのなら、関わるのをやめます。
ファンアートで見たいものは、その人の作品なのか、ファンアートを描くための原作なのか。
僕はその人の作品・作風を見たくてフォローをするが、多くの人は原作を見たいのであって、誰が描いていようがあまり関係はないのだろうな。
意見の食い違いってのは、多分ここなのかな。
以前、ファンアートではめちゃくちゃいいねとRTされていたのに、自創作した途端に誰も見てくれなくなったと呟いていた人がいたが、そりゃ当たり前だ。
ファンアートは貴方が生み出した作品ではないし、それを自分の力だと過信したら駄目だろ。
ファンアートはファンアート。
勘違いしては駄目だ。
ファンアートは創作事ではないよ。
公式の供給に乗っかっているだけ。
原作の魅力に便乗しているだけ。
それを自分の力と過信してはいけない。
ファンアートを辞めた途端に創作ができなくなるのなら、残念ながら貴方がやっていたことは創作ではなかったんだよ。
便乗していただけ。
それは、貴方の創作力ではなかったということだ。
僕がいたところは、原作はあれどまた特殊な界隈だったからなぁ…
うん。
特殊だと思う。
ファンアートとも自創作とも多分呼べないところ。
僕はきっぱり自創作にしたかったので辞めたんですよ。
彼等の物語の続きを待つのを辞めて、僕自身で作ることにしたんです。
公式の供給なんぞ要らんわ。
僕が供給源になる。
それで、良い気がする。
公式の供給なぞなくともキャラが立って世界観も崩れないなら、それは立派な創作だろう。
便乗とインスピレーションによって作った土台は別物。
自作品を見てもらいたいなら、便乗するのをやめればいい。それで済む。
→「便乗」と「インスピレーション〜土台」で分ける。
これらが別物。
便乗は他人の土台だが、インスピレーションを受けた先で自作した土台は自分のものだ。
自創作は孤独だ。
孤独から始めるものだ。
だから、創作をずっと続けている人は本当にすごい。
僕も頑張りたい。
頑張れっていう(言ってくれる)のも、始めたばかりでは自分しか居ないんだ。
だから、僕は自分に頑張れっていうよ。