7routeplanet

写真と七辻脳内白描図

暇という穴を全て埋め切ることはできないのだから、好きなようにすればいい。

完璧を求めるな。
完璧なんて求めなくていい。
完璧である必要はないんだ。

自身の悪い癖を認識して、良くないと思うなら方向性を変える。
先ずは発信することから。
何事も、先ずは発信してから変えていけ。

そう、自分自身に言い聞かせている。
何事も、度胸の足りない自分をどうにかしたい。

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Green Flash.

最近読んだどこかの記事に、「人生とは、いかに暇を潰すか」というような文面が書かれていた覚えがある。

人生とは暇つぶしか。
確かにそうかもしれない。
暇という穴埋めをするためにやりたいことを探す。
好きなことを探す。
それが私の場合は、登場人物たちの生き様を考えることだったり、物語の種になるような事を考察することだったり、長い時間をかけて街中を歩き写真撮影をすることだったりする。

もし、穴埋めができなかった場合は。

…できなかった場合は。

いや、その先を考えるのは、あまりにも酷だ。

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誰も、好き好んで辛い思いをしたいわけじゃない。
辛いことは物語のなかだけでいい。そう思うこともあった。
だが、辛いことも懸命に乗り越えるような物語をそろそろ読みたい。
描きたい。

登場人物だって、物語の中で生きている。
登場人物の人権は。
その魂の尊厳は。
いつも、そんなことを考えてしまう。
また、話が逸れそうになる。

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Bright and early.

陽の光が昇り出す、夜明けの光。
その夜明けが、ほんの少し遅いだけだ。

大丈夫。
塞がらない穴を塞げる日はやがて訪れる。
だが、完璧に塞ぐ必要もないんだ。
残る隙間も、埋まらない欠片の跡も、持て余す暇も。
それらもひっくるめて自分自身なら、それでもいいか。

暇を見つけたら、ちょうどいいやと、何かを挟み込むくらいの気持ちでいても良いんじゃないかな。

目まぐるしいほどに流れの早い情報世界で。
人の役に立つものを書かなくては、なんて大義を背負い込む必要もなく。

好きなことを発信していけたなら。
好きなことで良いんだ。
好きなように生きなよ、あなたの人生なのだから。
折角、何でも簡単に発信できる時代に生きているのだから。
好きなように発信すれば良いんじゃないかな。

そう、自分に言い聞かせている。

日進月歩は憧れるが、一歩進んで二歩下がるのも忘れずに。

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昔読んだ本や観た映像を、大人になってふと思い出すことがある。

あのシーンはああいうことだったのか。

あれは、子どもの視点と大人の視点で見方の変わる描かれかたをしていたのか。

 

ふと思い出したときに、その巧みな技術に驚かされてはっとする。

巧妙なオブラートで包まれた表現は、子どもの頃には知識が無いから理解ができない。

だが、大人になった頃に読み返すと、子どもの頃には無かった知識が備わっていて、その意味を理解することができるようになる。

昔読んだ作品を大人になって読み返すと、また違った面白さを味わえる理由はここにあるのだろう。

 

だから、子どもの頃からなんでも観・読んでおくことは良いことだ。

それが、たとえ血生臭い作品でも。

大人の思考では懸念するような作品も、子どもに見せたっていい。

それは、大人の思考が、大人の余計な判断が邪魔をしているだけだ。

 

ただ、それでも、私が読ませてもらっていたもの、観せてもらっていたものは、年齢制限のかかっていない作品ばかりだった。

最近は、年齢制限がより厳格になっている気がする。

私より年上の大人が、きっと、自分の子どもに見せたことで失敗したと思ったものを規制したいと思っているのだろう。

今、公の場で規制されていて、子どもたちが見ることのできない作品は、親の判断で見せたっていい。

その責任を背負えるならば。

 

書きたいことが逸れたので、話を少し戻す。

子どもの頃に知識のなかったものでも、大人になって知識を蓄えた結果、その知識が結びついて身につくことは大いにある。

判らなくても良い、目を通すだけでもいい。

少々、専門的すぎた本を読んだなら、それより少し簡単な本を手に取って眺めるだけでもいい。

そうしているうちに、目に留まるワードがおのずと浮き上がってくる。

浮き上がってきたら、眺めて読み飛ばしていた読書スピードが知らずのうちに落ち着いて、そのワードについて書かれた文章をじっくり読むようになる。

そのうちに、浮き上がってくるワードが増えてくる。理解が叶う。判るようになる。

そうしたら、もう一度、先に読んでしまった専門的すぎた本にもう一度目を通してみる。

目を通すだけでいい。

目を通していくうちに、少し簡単な本で体験したように、目に留まるワードが自ずと浮き上がってくるはずだ。

そうしたら、そのワードについて書かれた文章をじっくり読めるようになっている。

そうして、読む本の難しさを段々と上げていけばいい。

子どもの頃に読めなかった本も、そうしていつか読めるようになる。

 

今読んでいる本を、いつか読破したいと思うのなら。

一読進んで二読下がったって良い。

 

さぁ、本をもっと読もう。

以前は読めなかった本を読めるようになるのは面白い。

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写真は、今日散策中に撮影したランタナ(冒頭)とデュランタ(末尾)

また、街中鉢植え撮影でもしに行こうか。